ゲーム「悪者」説に反論
2000/08/25 | 文責 森田 吉公 33歳(会社役員) |
「物語」が口伝でのみ語られた時代は遙か昔に去った。 そして書物、演劇、映画、テレビ、マンガ、ゲーム。 様々な形で、「物語」は語られてきた。娯楽として、文化として。 保護者が好むと好まざるに関わらず 外界との接触−テレビ、ネット等含む−を絶って暮らしている人々を 除けば、文化の影響を全く受けずに子供を育てることはできない。 そういう意味では、子供達は確かに影響を受けている。 彼らを取り巻く世の中は、刻一刻移り変わっており、1年2年では わかりづらくとも、10年、20年単位では明らかに異なる影響を 子供達に与えている。 その子供達が、親の世代と異なる考え方を持った大人に育つのは 当然であり、妨げることはできない。 だが、そのような時代の変遷とは別に、いつの時代も子供達に 伝えたいこと、伝えなければならないことがいくつかある。 愛。 親子の、家族間の愛情。友情。異性愛。 自分を、そして自分を取り巻く他者を慈しむこと。 人間は教育を受けることなしに人間になれない。 その教育者−親、教師その他全ての大人−に必ず教えて欲しいことの 一つがこれである。 どうすれば教えられるのか真剣に考えたことは残念ながらなく、 子供を育てた経験もないが、自分の子供にも必ず教えなければならない と考えている。 個人の自由と権利を尊重すること。 自由と権利の範囲については様々な解釈があるし、時代や政治体制 によっても異なる。 だが、基本的に他者の自由と権利を阻害するものでない限り、 尊重されるべきであり、これを認めない時代や政治体制を好きには なれない。 愛とは異なり、ある程度の知識や教養を前提としないと教えることは 難しいかもしれない。が、子供には必ず伝えたい。 子供達に伝えるべき事は他にもたくさんある。それを伝えるのは大人達 の使命である。 いつまでに伝えなければならないのか。彼らが大人になるまでに、で 終わらせたいがそうはいかない。 子供達が誰かの自由と権利−最悪の場合、生命−を阻害する前に、である。 中学生や高校生の犯罪が取り沙汰されているが、その凶行が相対的弱者に 向かうであろうことを考えたとき、小学生やそれ以下の年齢の子供達が、凶行 をおこすことがないと誰が断言できるのか。 子供達に伝えねばならないときは、「今」なのである。 さて、「物語」に話を戻そう。 近年「本当は残酷な何々」で、少々あやしくなってきたが、子供達に 与えられるための物語として、童話や児童文学がある。 これらには、娯楽として子供達に書物に親しむことを教えてくれると ともに、子供達に伝えたいことを伝えてくれることが期待されている。 とはいえ、これらを読めば個人の自由と権利を尊重する大人になれるのか、 というとそんな簡単なものではない。 一方、暴力的であったり、非常識な内容を含むゲームやマンガを読んだ子供達 が即凶行に走るのか、というとやはりそんな簡単なものではない。 それらは全て、子供達を取り巻く環境であり文化であるにすぎない。もちろん クリエイター達には子供達に与えるに相応しい作品を創っていってもらいたい と思うが、わきまえるべきことをわきまえた大人達の娯楽としての作品も 大いに創って欲しいし、創られるべきである。 良識、という言葉で安易にクリエイターを縛り付けてはならない。それは 彼らの権利の、そして彼らの生み出す物語を求める者の権利の侵害に他ならない。 物語の内容が、誹謗中傷など誰かの権利を不当に侵害するものであるならば、 それが不当であることを主張すべきであろうが、そうでないならば、その物語の 存在は認められなければならない。 求められるべきは、クリエイターの良識ではない。 子供達の直接の教育者−多くは親、教師−が、子供達に与えるべき物語と 与えるべきではない物語をしっかり判断し、しかるべき形で子供達に与える ことなのだ。 子供達が読んでいるマンガや本、見ているテレビ番組、やっているゲーム。 それらの内容を本当にわかっている親がどれだけいるのだろう。 RPGで他人の家のタンスを開けるのがおかしいと思うなら、ゲームを一緒 にやるべきだ。そしてそのことを子供と語るべきである。 そのゲームには子供達に伝えたいと思うこともある、ということがわかるだろう。 そして、そのことも子供と語って欲しい。 そうすれば、「ゲーム感覚」で人を殺す子供にはならないだろうから。 そんなことをする時間がどこにある、という反論に対しては、子供をきちんと 教育することが、「そんなこと」ですか、といいたい。 仕事がある。無論そうでしょう。家族が食っていくために収入を得なければ ならない。当然の事。 だが、子供と語る時間を持てないのなら、それは間違いだ。 働くことが、ではない。 子供をきちんと教育することを、働くことより重要でない、と考えるのが 間違いだ。何も一緒にゲームをすることだけが教育ではない。どんな形であれ 親が、伝えるべき事を子供に伝えること。それこそが重要なのだ。 「親の背中」でするものだ、と楽観してはなるまい。自分がそうであったとしても 子供達を取り巻く環境は、決して同じでは有り得ないのだから。 |